自由な時代

今朝、こんな投稿をしました。笑

どうしても朝早く起きなきゃ行けない時は、Xの紅を爆音でかけてからの、Rusty Nailをかけながら寝癖を直すと、目が覚めて10分後にはギンギンに起きて家を出れる。しかし、その代償として午前中は若干厨ニ病ぽくなる。無駄に空を仰いだり、右手で顔を覆ったり、意味もなく膝から崩れ落ちたくなったりする。

越野 健さんの投稿 2018年5月7日(月)

まぁほんとにどうでも良いつぶやきをしたんですがw、

「俺ら以上にカッコいいバンドなんて無いから」ってライブで平気で言えちゃって、
ファンもキャーって言えちゃう時代w

「w」とか付けちゃうぐらい、90年代のことを今振り返ると、
にやけてこっぱずかしくなるようなメッセージを出す時代だったなぁ、と思います。
(僕は1984年生まれなので、ガッツリ世代です)

まだまだケータイを持ち始めたかな?っていう時代。
今みたいに、Google先生もいなかったし、調べるってことをほとんど出来なかった。僕ら一般市民はどうしても不便だったし、弱かったんですね。

大人 と 若者
就職(安定した生き方) か 自由
組織 vs 個人
CM と 消費者
強者 と 弱者
通信手段も、
持つもの or 持たざるもの

オトナに対して、組織に対して、生き方に対して、情報に対して、
不便だったし、弱かった。

だからこそ、
苦労が美徳だった。

弱者が苦労して強くなることが、
ヒーローストーリーであり、
多くの人の光になったし、

強者への反発として悪さや目立つことをすることが自己表現。
「俺たちは弱ぇけど、見てろよ!強くなるぜ!」を表に出すことこそが自己表現。

そういった社会の潜在意識の顕在化をすることがマーケットの創造に繋がっていった。
目立てるステージに立つことが、強者であるスターになるための道だった。

カッコいい=モテるだとするなら、

「弱さ」の代弁者たりえる存在になることこそが、
周りの共感・人気を集めるものだと。

だから、感傷的になる歌とかメッセージが多かったんだろうなぁ。

でも、もう今は、そこに自己表現をしなくてもよくなった。
誰でも使える武器(メディア)が手に入った。
若い時代はもう既に自由に、もっとフラットに既になっている。

「弱さ」を認めてくれる存在の代替として、
30代・40代は、まだまだスピリチュアルっぽいやつにいきがちで、
「そのままで良いんだよ」が大ウケして流行っている。

でもこれって、本質的な構造は、ビジュアル系キャーの頃と何ら変わってない。

まだ僕らオジサン・オバサン世代は、
自分には無理だと思い込んでいるものを「何か強者」に見立てて、
「弱者」的な二項対立を作ってビジュアル系になりたがる癖がある。

スピリチュアルも、本物の原則は残っていくけれど、
マーケットとしてのエセものは、遅かれ早かれ衰退していくだろう。

自分自身の価値や、自由さをさっさと受け取っちゃえば早い話なんだけど、

厨二病、とは
まさに僕ら30代40代の、あの時代の感情を皮肉られたり、
ちょっと恥ずかしくなってクスッとなっちゃうものなのだろうな。

日本初 運賃無料“タクシー”運行へ 「15歳起業」の若手実業家が新会社
今朝、こんな15歳の登場を見たり、

プロ奢ラレヤーっていう若い子も出て来たりして、

ほんとに自由な時代になったな、と思う。

プロ奢ラレヤーてww
でも、誰とでも繋がれる時代だからこそ、
孤独な経営者や大人もたくさんいるだろうし、
そういう人たちの話し相手になったり、情報提供したりすることって、
相手にとっての価値になったりするだろうなぁ。

苦労こそが美徳だと思いがちな世代である自分からすると、絶対に出てこない発想。
こういうのに眉間のしわを寄せてしまう人は、もしかしたら老いてきているのかもしれない。。
自戒も込めて。

若者はいつの時代も発想がすごい!!

精神と自己表現が自由になった現代。
そこが自由になったら、これからはどういう時代になっていくんだろ^^

※でも、僕は90年代の音楽は大好きで、今もカラオケ行ったら歌います。
膝が崩れ落ちそうになりながら。