シンママハウスをしていて、あるある話。
「親がシェアハウスってどういうものか分からないって言われたから、説得出来ませんでした」という話。
ご本人の状況やペースもあるので、何とも言わないのですが、
残念に感じるパターンがこれです。
自分の時間を取り戻そう。
自分の人生。
時間は自分が使う財産として流れている。
決定権は自分にある。
「何を今さらそんな当たり前のことを…」て思う方もいるかもしれないけれど、
(元)パートナーと付き合ったのも自分、
お子さんを授かったのも自分、
一緒に住む時期を選んだのも自分、
別れを切り出したり、それを承認したのも自分。
そして、その自分の判断の時には、
必ず他者がいたはずです。
時にはパートナーだったり、時には友人だったり、家族だったり。
でも、他者は、
自身が決断をするヒントにはなっても、
決断の実行者ではないのです。
2010年頃、iPhoneが流行り始めた頃に、
スマホに買い替えるって相談を親にしたとして、
「そんな得体のしれないもん持つな」って言われたとしたら、
どうでしょう?スマホ持ちますか?
何か環境の変化があるとき、人は恐怖を覚えます。
生物としての本能ですが、
変化こそが時代を創ることもまた真実です。
いつからか、自分のどこかの部分が、誰かの人生になっていないでしょうか。
どういう生き方をしたいか、は自分が選べるし、
自分しか選べないものです。
「違うんだ」ということと出会うために、
シェアハウスをしています。
違うことと出会い、お互い尊重し合えると、
自分で選べるようになるからです。